ワシントンDCの非営利法人・Ibashoは高齢者にまつわる既成概念を変えること、つまり、高齢者が生産活動から引退し、医療や介護などのサービスを受ける側の弱者と見なされる傾向のある状況に対して、何歳になっても自分なりの役割を担いながら地域に住み続けることの実現を目指しています。
Ibashoはフィリピン、レイテ島のオルモック市のバランガイ・バゴング・ブハイ(Barangay Bagong Buhay)[1]と、ネパール、カントマンズ盆地の南西端のネワール族の村であるマタティルタ(Matatirtha)[2]においてプロジェクトを行なってきました。プロジェクトは、高齢者を中心とする地域の人々が中心となり、それを現地のコーディネーター[3]がサポートするかたちで進められてきました。ワシントンDCのIbashoは外部からのサポートとして現地を定期的に訪問し、ミーティングやワークショップなどを行う役割を担います[4]。
Ibashoの訪問への同行を通して、学んだことを8つのポイントとしてまとめました。
Ibashoプロジェクトに関わるにあたって常に意識してきたのは、現地から学ぶという姿勢です。なぜなら、支援する/されるという固定的な関係を乗り越えるためには学ぶという姿勢が不可欠だと思うからです。この点についてはフィールドワークを行なってきたバックグラウンドが役に立ったと考えています。
フィリピン、ネパールにおけるIbashoプロジェクトが今後どのように展開していくかはわかりません。しかし、プロジェクト自体の評価とは別に、プロジェクトへの関わりの経験から学んだことが少しでも意味をもつなら、それをまとめておくことは大切な作業だと考えました。
上に書いた通り、Ibashoは高齢者にまつわる既成概念を変えることを目指していますが、フィリピンとネパールにおけるプロジェクトには、被災地でのプロジェクトであること、一般的に先進国と見なされる国から開発途上国と見なされる国への訪問によって進められることという側面を持ちます。被災地支援、開発途上国支援を専門とされている方の目には「素人考え」だと映るかもしれませんが、8つのポイントは被災地支援、開発途上国支援という経験から学んだ部分もあります。
現在の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大により、外出を控えたり、他者との距離をとるソーシャル・ディスタンシング(Social Distancing)が要請される状況となりましたが、特に高齢者は感染により重症化するリスクがあるとされているため、保護されるべき弱者と見なされる傾向が強くなっています。
もちろん、現時点では新型コロナウイルス感染症の感染を防止することは大切です。しかし、いつか感染症が収束したアフターコロナにおいては、高齢者がそれぞれの役割を担いながら地域に出ていけるような社会を取り戻す必要があります。そしてこれは、Ibashoプロジェクトが目指してきたことであり、ここにあげた8つのポイントが少しでも役に立てばと考えています。
- [1] バランガイはフィリピンにおける行政の最小単位で、バゴング・ブハイはオルモック市に110あるバランガイの1つ。バゴング・ブハイとは「新しい生活」を意味する(「Bagong」は「新しい」、「Buhay」は「生活」)。名前の通り比較的新しく開発された地域で、バゴング・ブハイには1991年の大洪水の被災者のために建設された住宅もある。
- [2] マタティルタの村名は「母」を意味する「Mata」と、「神聖な場所」を意味する「Tirtha」の2つのサンスクリット語に由来。村にあるマタティルタ寺院には、村名の由来になっている母の像が祀られた神聖な池があり、毎年、母の日には多くの巡礼者が訪れる。Ibashoのプロジェクトが行われているマタティルタは、マタティルタ寺院の周辺地域の呼称である。行政区としては第三州・カトマンズ郡・チャンドラギリ市(Chandragir Municipality)のWard 6の一部である。なお、行政区では隣接するWard 8がマタティルタと呼ばれるが、Ibashoのプロジェクトが行われているマタティルタとは別の地域である。
- [3] Ibashoフィリピンでは看護師の資格を持つ男性が個人で、IbashoネパールではソーシャルベンチャーのBihaniがコーディネーターを担っていた。
- [4] バランガイ・バゴング・ブハイへは2014年4月から2019年7月にかけて10回、マタティルタへは2016年2月から2019年6月にかけて9回の訪問が行われた。ワシントンDCのIbashoは、現地を訪問しない時にも、オンラインで地域の人々やコーディネーターと連絡をとることが行われている。バランガイ・バゴング・ブハイとマタティルタにおけるプロジェクトは世界銀行の防災グローバル・ファシリティ(GFDRR)のプログラム「Inclusive Community Resilience program」、日本・世界銀行によるプログラム「Japan – World Bank Program on Mainstreaming Disaster Risk Management in Developing Countries program」のサポートを受けて行われた。これは建物の建設というハード面ではなく、知識・技術交換、調査、コーディネーターの雇用などソフト面へのサポートである。
コンテンツ
Ibashoプロジェクトを通して学んだこと:外部から地域のプロジェクトに関わるための観点
■理念により目指すべき姿を描く
■支援者の役割からずれていく
■少しずつ活動を積み重ねる
■地域にとって意味ある活動をする
■高齢者を変わり得る存在と見る
■場所の視点から見る
■外部の存在だから担える役割を大切にする
■評価ではなく表現する
以下ではそれぞれのポイントの詳細を見ていくこととする。
理念により目指すべき姿を描く
Ibashoプロジェクトにおけるワークショップで最初に行われるのが、Ibashoの理念の紹介である。Ibashoは高齢者にまつわる既成概念を変えること、つまり、高齢者が生産活動から引退し、医療や介護などのサービスを受ける側の弱者と見なされる傾向のある状況に対して、何歳になっても自分なりの役割を担いながら地域に住み続けることの実現を目指している。
理念が紹介された後、ワークショップはどのような活動に取り組みたいかについての話し合いへと入っていく。
Ibashoフィリピンでは、2015年1月9日のワークショップでリサイクル、栄養不足の子どもに食事を提供する栄養プログラム、農園の3つが取り組みたい活動としてあげられた(写真1)。2015年2月上旬、バランガイ・バゴング・ブハイを訪問したIbashoのコーディネーターは、高齢者が既にペットボトルのリサイクルを始めていたのを知る。ワークショップではリサイクルの開始時期や方法など具体的なことまで議論されたわけでなかったが、ワークショップに参加した高齢者が中心となり、自主的にリサイクルを始めていたのである。
Ibashoネパールでは、2016年6月6日に地域が抱える課題とそれに対して何ができるかの意見を出し合うワークショップが行われ、これを受けた2016年7月11日のワークショップでは、優先して取り組みたい活動としてハンドクラフト、コンポスト、農園、花の栽培の4つがあげられた(写真2)。翌日、2016年7月12日のワークショップでは、4つの活動の中で、最初に花の栽培、農園、コンポストを関連させて取り組むことを確認した。この後、Ibashoのコーディネーターのサポートを得て、3つの活動それぞれの代表が選ばれ、活動が始められた。
フィリピンとネパールで活動が始められた経緯を振り返れば、Ibashoは高齢者をはじめとする地域の人々が「自分たちにも何かができそうだ」という思いを抱くきっかけを生み出したと捉えることができる。
Ibashoネパールで農園などに中心的に関わる女性は、「Ibashoは高齢者を尊敬するとわかったから、今でも関わっている。以前は自分も高齢になったら働けなくなると思っていたけれど、高齢者にもできることがあるとわかった」、「高齢者に対する見方を変えることが、自分のためにもなると村の人たちに伝える必要がある。Ibashoに関わったら直接的にどんなメリットがあるのかと問う人もいるけれど、その考え方が変わらなければならない」と話す[5]。Ibashoフィリピンに当初から関わり、会計などを担当する女性は、プロジェクトに関わっているきっかけの1つとして「高齢者でも何かできることを教えられたから」と話す[6]。
先に述べた通り、Ibashoが目指すのは高齢者にまつわる既成概念を変えることだが、既成概念とは人々にとって当たり前のものとして定着しているものである。Ibashoは目指したい姿を示すことで、高齢者にまつわる当たり前を揺さぶり、人々が「自分たちにも何かができそうだ」という思いを抱くきっかけを生み出している。具体的な活動は、当たり前を揺さぶられた人々によって始められ、続けられているのである。
(写真1)2015年1月9日のワークショップ
(写真2)ワークショップに持参された栽培する花の見本
- [5] 2019年6月19日のフィールドノートより。
- [6] 2019年7月21日のフィールドノートより。
支援者の役割からずれていく
居場所ハウス、Ibashoフィリピン、Ibashoネパールはそれぞれ東日本大震災、台風ヨランダ(2013年台風30号)、ネパール大地震の被災地で行われているため、被災地でなければIbashoプロジェクトは行えないのかという問いがしばしば投げかけられてきた。この問いに対しては、Ibashoは被災地支援の団体ではないが、Ibashoが外部から地域に入っていくプロセスには、災害が大きく関わっていると考えている。
通常、何らかの大義名分がなければ外部の団体が地域に入っていくのは難しい。しかし、災害後は、この例外の1つである。被災地への支援者という立場は、外部の団体が地域に関わりを持つための大義名分として機能するからである。
このことは、被災地への訪問者が、その目的に関わらず自動的に支援者と見なされる得ることをも意味する。Ibashoも例外ではない。当初、Ibashoはアメリカと日本から金品を寄付する団体だと考え、ワークショップやミーティングに参加した人もいたと思われる。けれども、Ibashoは金品を寄付する団体でないことが明らかになるにつれて、支援を求めていた人は次第に参加しなくなる。フィリピンでも、ネパールでも当初は参加者が多く、その後減少している理由の1つはここにあると考えることができる(図1, 2)。
被災地支援が重要であるのは言うまでもないが、一方的な支援は相手を支援に依存させてしまう[7]。高齢者に対して、被災者に対して、開発途上国に対して支援したいという思いを抱くのは自然かもしれないが、この思いからの支援が固定化すれば、相手を支援に依存させてしまうのである。
ただし、先に述べたように支援者という大義名分がなければ、そもそも地域に関わりをもつことはできなかったかもしれない。それゆえ、外部からの訪問者は、最初に自動的に付与された支援者の役割からずれていくことが求められる。
支援者の役割からずれていく契機は、時間をかけて現地に何度も足を運ぶことに見出すことができる。
現地に何度も足を運ぶことで、少しずつ顔と名前が一致してくる。最初はリーダー的な人々の顔と名前を覚えるが、次第に他の人々の顔と名前もわかるようになる。最初の方は後ろの方に座ったり、発言しなかったりと目立たなかった人が次第に発言するようになったり、活動の中心を担うようになったりするという変化も見えてくる。現地に何度も足を運ぶことで、相手が高齢者という集団の1人ではなく、具体的な顔の見える○○さんとして浮かび上がってくる。
支援者としての役割からずれることも、同じプロセスを通して可能になるのではないか。支援者の役割からずれるとは、支援者から他の役割へと移行することではなく、相手から顔の見える○○さんと見てもらえること、同時に、相手を高齢者、被災者、開発途上国の人と見なさず、顔の見える○○さんと見ること、つまり、役割や属性を越えた顔の見える関係を築いていくことである。
こうしたプロセスを経験することで気づかされるのは、関わりのまさにその現場においては高齢者という概念は必要でないことである。Ibashoは、高齢者にまつわる既成概念を変えていくことを目指しているが、プロジェクトを通して高齢者という概念が不要になる状況が生まれてくるのである[8]。
技術が進歩したとは言え、現時点ではオンラインの技術では現地に足を運ぶことから得られる経験を代替することはできない。現地に何度も足を運ぶことは容易ではないが[9]、だからこそ、現地に何度も足を運ぶ行為は信頼を築くことにつながる。
(図1)Ibashoフィリピンの参加者数の推移(ワシントンDCのIbashoの訪問時のみ記載)
(図2)Ibashoネパールの参加者数の推移
- [7] ネパールの人々は被災地支援にスポイルされているのではないか、という話を聞いたことがある。2018年1月14日のフィールドノートより。
- [8] このことからは、高齢者という概念は誰が、どのような場面で必要としているのか、高齢者という概念がなくなると誰が、どのような場面で困るのかという問いも生じる
- [9] 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大により、現地に足を運ぶことはさらに困難になってしまった。こうした状況を受け、オンラインの技術が急速に代替していく可能性がある。
少しずつ活動を積み重ねる
Ibashoフィリピンの活動はペットボトルのリサイクルからスタートし、農園、モバイル・カフェ、フィーディング・センターの改修(写真3)[10]、Ibashoネパールの活動は花壇、農園、コンポストから始まり、イヤリング作り、掲示板作り、チャウタリの改修(写真4)と[11]、その時点でできる活動が徐々に行われてきた。このようなやり方は、プロジェクトを始める敷居を下げることにつながる。
どのような活動をするかを最終的に決めてきたのは、プロジェクトに参加する高齢者をはじめとする地域の人々である。地域の人々はある活動を企画し、具体的なやり方を議論し、実際に活動を行うプロセスを繰り返してきたのである。
拠点となる場所を作りあげることも、この延長上にある。Ibashoフィリピンでは屋根付きのバスケットボール・コート脇に建物を[12]、Ibashoネパールでは農園脇に小屋(写真5)を建設した。建設のために土地を確保したり、意志決定したり、役割を分担したり、建設作業に協力したりと、拠点となる場所を作りあげること自体が重要な活動である。つまり、拠点となる場所が完成してから活動が始まるのではなく、拠点を作(写真6)りあげるプロセス自体が重要な活動だということである。また、一度完成した拠点となる場所をメンテナンスしたり、少しずつ手を加えていくこともまた活動の一部である。
Ibashoプロジェクトに対して自分ができることについて、農園、キャッサバの栽培、料理、軽食の屋台、編み物、イヤリング・ブレスレット作り、大工仕事、本棚作り、子どもへの読み聞かせ/語り部、ペットボトルのリサイクル、ズンバ(フィットネス・プログラム)の練習などの意見が出されたように[13]、人によってできること、興味のあることは異なる。様々な活動を積み重ねることは様々な役割を生み出し、Ibashoプロジェクトに関わるための間口を広げることになる。
この時、それぞれの活動をバラバラに行うのではなく、例えば、農園で収穫した野菜を使ってピクルスを作る、防災のワークショップで議論したことを地図にして掲示板に貼り付ける(写真7)、改修したフィーディング・センターで調理(写真8)するなど、活動を重ね合わせることでプロジェクトとしてまとまりを生み出すことにつながる。
(写真3)フィーディング・センターのペンキ塗り替え
(写真4)改修のためチャウタリのサイズを測定
(写真5)農園脇の小屋
(写真6)拠点となる建物の建設に向け役割分担するIbashoフィリピンのメンバー
(写真7)防災のワークショップで作成した地図を掲示板に設置
(写真8)改修したフィーディング・センターでの調理
- [10] フィーディング・センターはバランガイ・ホール前に立地する場所で、台風ヨランダの被害を受け、屋根に覆いがされ使われ続けていた。2017年5月中旬、メンバーはバランガイからの許可を得て、フィーディング・センターのベンチを修理。さらに、ベンチとバスケットボール・コートとの間にある空間を活用してキッチンの増設が行われた。2017年7月末にはペンキの再塗装が行われた。
- [11] ネパールでは菩提樹の木の下が舗装され、座れるようになっている。これがチャウタリ(Chautari)と呼ばれる場所である。マタティルタ村のチャウタリは高齢者が座りにくい形態だったため、Ibashoネパールのメンバーにより改修が行われた。
- [12] それぞれのバランガイの中心には、バランガイ・ホール(Barangay Hall)、チャペル、バスケットボール・コートの3つの場所があるとされる。
- [13] 2019年7月22日、Ibashoフィリピンで行われたワークショップで、参加者が記入した付箋より。
地域にとって意味ある活動をする
少しずつ活動を積み重ねることに関連して、取り組む活動が地域にとって意味あるものになっていることが大切である。レクリエーションのような楽しみのための活動も時には大切だが、楽しみのための活動だけではプロジェクトを継続するのは難しい。
地域にとって意味ある活動は、次の2つの側面から捉えることができる。
1つは、お金のやり取りが発生することである。地域の活動ではお金のやり取りが発生するのは好ましくないと考えられたり、日本の公共施設では営業活動が制限・禁止されたりする場合も多いが、地域にとって意味ある価値を生み出しているからこそ、お金のやり取りが発生すると捉えることができる[14]。Ibashoフィリピンのペットボトルのリサイクル、農園(写真9)、モバイル・カフェ、Ibashoネパールの農園、ピクルス作り(写真10)、イヤリング作りはこれにあてはまる。
もう1つは、地域の課題を解決することである。Ibashoフィリピンのフィーディング・センターの改修、Ibashoネパールのチャウタリの改修がこれにあてはまる。先にあげた活動のように、活動自体がお金のやり取りを生み出すわけではないが、暮らしの場所である地域自体をよくすることも地域にとって大切な活動である。
お金のやり取りを生み出したり、地域の課題を解決したりすることはプロジェクトが地域と関わるための接点にもなる。
地域にとって意味ある活動を行う上では、外部からの訪問者が地域を尊重すること、その前提として地域に関心を持ち、知ろうとすることが大切である。例えば、地域によって食事の時間や回数、休憩の取り方は異なる。地域には宗教的な儀式、お祭り、選挙、農繁期など大切な行事もある。これらを尊重せず、外部からの訪問者の都合を押しつけるのでは、プロジェクトの継続は困難である。
(写真9)Ibashoフィリピンの農園
(写真10)Ibashoネパールのメンバーが作ったピクルス(写真中央の瓶)
- [14] このような活動は、生業や暮らしに関わるライブリフッド(livelihood)の活動と呼ばれることもある。
高齢者を変わり得る存在と見る
高齢者はしばしば生産活動から引退し、医療や介護などのサービスを受ける弱い存在だと見なされることがある。これに対して、知識や技術の宝庫として、言わば仙人のように完成された存在だと見なされることもある。これら2つの見方は対照的だが、高齢者を固定的な存在だと見なしているという共通点がある。
これらの見方に対して、Ibashoプロジェクトを通して浮かび上がってくるのは、人は何歳になっても新たなことを学べること、つまり、高齢者は変わり得る存在だということである。
Ibashoネパールでは、高齢の男性の1人が、女性らとともにイヤリング作りに関わっている(写真11)。通常、ネパールでは男性がイヤリング作りをすることはないという[15]。しかしこの男性は当たり前には縛られていない。イヤリングの材料として針金を三角形に折り曲げるための道具を自作したり、訪問に同行したアメリカの建築家と針金を綺麗に折り曲げるための方法を検討したりする男性の姿からは、人は何歳になっても学び続けることができることに気づかされる。
何度も述べている通り、Ibashoは高齢者にまつわる既成概念を変えることを目指すものだが、高齢者にまつわる既成概念が変わるとは、高齢者が変わり得る存在だと見なされるようになることを意味する。
(写真11)イヤリング作りを行う高齢の男性
- [15] マニラのアジア開発銀行(ADB)で開かれたセミナーでの、Ibashoネパールのコーディネーターの発言。2018年6月20日のフィールドノートより。
場所の視点から見る
Ibashoフィリピンのメンバーの1人は、Ibashoプロジェクトが与えた影響について「高齢者に注目が集まることで、高齢者が積極的になり、まとまることができるようになった」と記している[16]。Ibashoネパールの元大工の男性は、掲示板作りを通して自分の技術が他のメンバーに認識されたことが大きなきっかけとなり(写真12)、積極的に関わるようになった[17]。これらからは、他者から認識されることの意味が浮かびあがってくる。
Ibashoプロジェクトで取り組んでいる農作業、ペットボトルのリサイクル、イヤリング作りなどの活動は、個々人が自宅で行うこともできる。その場合でも、これらの活動は高齢者が役割を担う機会になったり、高齢者に生き甲斐をもたらしたりする可能性がある。活動が自宅で行われている限り、活動に携わる姿が多くの人に認識される機会は少ない。これに対して、地域の場所で行われるのであれば、活動に携わる姿が多くの人に認識されることになる(写真13)。
Ibashoフィリピンにおけるフィーディング・センターの改修、拠点となる建物の建設、Ibashoネパールにおけるチャウタリの改修、掲示板の設置、農園脇の小屋の建設は、高齢者の活動の結果が目に見えるかたちとして残り、地域に目に見える変化をもたらしたと捉えることができる。これによって、活動に居合わせた人々だけでなく、時間差を伴ってそこを訪れる人々にも活動が認識されることになる(写真14)。
Ibashoを活動の内容だけでなく、その活動がどこで行われるかという場所の視点から見ることにはこのような意味がある[18]。
Ibashoフィリピンにおいて、改修したフィーディング・センターが、地域の中心であるバランガイ・ホールのすぐ前に立地していること、拠点となる建物が様々な行事が行われ、若い世代や子どもたちが集まる屋根付きのバスケットボール・コート脇に立地していることというように(写真15)、立地が大きな意味を持つ。
Ibashoネパールでは、拠点となる建物を建設せず「Ibasho as a Village」(村としてのIbasho)というコンセプトが掲げられている。これは地域にどのような空間の資源があるかを把握し(写真16)、それぞれの場所でどのような活動が可能かを考えることで、Ibashoが目指す状態を村全体として実現していこうとするものである。
このように立地を考えたり、場所を資源として発見したり、場所が持つ意味を読み取ったりする技能が場所の視点から見る上では重要になる。
(写真12)掲示板作りに参加する高齢の男性
(写真13)Ibashoネパールのワークショップを覗く人々
(写真14)Ibashoプロジェクトで改修したことがフィーディング・センターに掲示
(写真15)バスケットボール・コートには多くの人が集まる
(写真16)空間の資源を把握するために地図を描く
- [16] Ibashoが2015年10~12月にバランガイ・バゴング・ブハイの60歳以上の高齢者を対象として実施したアンケート調査における自由記述より。
- [17] マニラのアジア開発銀行(ADB)で開かれた、2018年6月20日にのセミナーで描かれた模造紙より。
- [18] Ibashoと英語表記からは抜け落ちてしまうが、Ibashoを「居る/居られる」+「場所」と日本語で捉える視点が重要だということである。
外部の存在だから担える役割を大切にする
プロジェクトにおいては、先に述べた通り、地域のやり方を尊重するのは当然だが、同時に、外部からの訪問者という立場だから担える役割をあえて引き受けることも大切である。
Ibashoの訪問時に開かれるワークショップやミーティングでは、これまでの活動を振り返ることが行われてきた。Ibashoの訪問に合わせて、これまでプロジェクトに参加したことがない人への声かけが行われることもある。例えば、Ibashoフィリピンの男性は防災に対するワークショップに参加したことがきっかけで(写真17)、プロジェクトに積極的に関わるようになっている[19]。
プロジェクトが継続するほど、あるいは、当たり前のものとして定着するほど、自分たちの活動を振り返ったり、これまで参加したことがない人に声をかけたりするなどの改まった機会をもうけるのは難しくなる。こうした状況において、Ibashoの訪問は改まった機会を作り出す役割を担っている。
Ibashoネパールのメンバーは、Ibashoを「世代を越えた人が来て、高齢者が知識を伝えることができる場所」、「子どもから高齢者までが一緒に活動できるプラットフォーム」と話しているが[20]、Ibashoプロジェクトが始まるまで地域では高齢者、女性、子どもが一堂に介して何かすることはなかったという(写真18)。外部からの訪問者は、既存の関係に捉われていないからこそ、既存の関係を媒介する特別な機会を作れる可能性がある。
外部からの訪問は、地域において非日常の出来事になることで、改まった機会を作ったり、特別な機会を作ったりできる。外部からの訪問者という立場だから担えるこれらの役割に自覚的であることで、新たな出来事を生み出したり、新たな関係を築いたりというかたちで、プロジェクトを補完できる可能性がある。
(写真17)ワークショップに参加する高齢者・女性・子ども
(写真18)Ibashoフィリピンでの防災に関するワークショップ
- [19] ワークショップは2017年7月25~26日の2日間行われた。この男性が参加したのは7月26日のワークショップで、台風ヨランダの時の経験を交換し、次に同じような台風がくる時のためにどのような備えができるかについて意見交換した。
- [20] 2019年6月20日のフィールドノートより。
評価ではなく表現する
フィリピンでは、多くのNGOが台風ヨランダの被災地にやって来たが、お金を出すだけだったり、写真を撮るだけだったNGOも多かったという[21]。この話を聞いて考えさせられるのは専門家の役割である。
専門家がこれまで担ってきた大きな役割は評価だったと言える。例えば、インパクト評価(Impact Evaluation)としてプロジェクトの効果を測定し、そのプロジェクトを広げたり政策を立案したりするための知見を得ることを目指す。もちろんこうした作業は重要だが、調査対象とされた人々に調査結果が還元されてこなかったことは見落としてはならない[22]。地域主導の研究(Community-Driven Research)が重要だと指摘され、試みられつつあるが、そのような研究のアウトプットはどうあるべきかについては十分に議論されていない言われることもある[23]。
調査結果は、調査対象とされた人々にとっても、自らのプロジェクトを振り返るための貴重な資料になるはずである。このような考えから、Ibashoフィリピン、Ibashoネパールにおいては調査結果の報告が行われてきた(写真19)。ここで調査は、専門家がプロジェクトを評価するためのツールではなく、人々が自らのプロジェクトを振り返るためのツールとしての役割を担う。調査をこのようなツールと捉える時、研究者は調査という手法を通してプロジェクトを表現し、共有する役割を担っていることになる。そして、これは調査だけに限らない。
Ibashoプロジェクトにおいては、活動の様子を撮影した写真をスライドショーにして上映したり(写真20)、動画を作成したり[24]、8理念を表現するダンスを作ったり、冊子を作ったりと、目指すべき姿をプロジェクトに関わる人々の姿と重ね合わせて表現し、共有することが行われてきた。これらで行われてきたのも、写真を撮影する、動画を編集する、振り付けを考える、文章を書くなどの手法を通した表現である。
ここで、Ibashoが広がるとはどういう状態を意味するかを考えたい。狭義の意味での広がりとして、多くの国や地域で、日本、フィリピン、ネパールのようなIbashoプロジェクトが行われるようになる状態を考えることができる。これに対して広義の意味での広がりとして、Ibashoの理念に描かれている状態が定着し、高齢者に対する既成概念が変わる状態を考えることができる。
インパクト評価で用いられることの多い量的な調査は、例えば、健康になる、友人が増える、地域に対して積極的になることなど既存の価値と結び付けて、Ibashoの効果として評価することはできるが、高齢者にまつわる既成概念が変わることそのものを表現することはできない[25]。
広義の意味でのIbashoの広がりを考える上で重要になるのが、理念を高齢者が活動する具体的な姿を通して表現していくこと、つまり、理念と活動との橋渡しをする作業である。
最初に理念により目指すべき姿を描くことの重要性を述べた。これは、人々の活動を理念によって先取りすることだと言える。一方、理念を活動の具体例とともに表現することは、人々の活動を理念を通して後から豊かににしていくことだと言える。このように捉えると、先取りと後追いによって活動に厚みを与え、豊かな意味をもつものにしていくという役割が浮かび上がってくる。
(写真19)Ibashoネパールでの調査の報告会
(写真20)Ibashoフィリピンでのスライドショーの上映
- [19] ワークショップは2017年7月25~26日の2日間行われた。この男性が参加したのは7月26日のワークショップで、台風ヨランダの時の経験を交換し、次に同じような台風がくる時のためにどのような備えができるかについて意見交換した。
- [20] 2019年6月20日のフィールドノートより。
- [21] 2018年2月23日のフィールドノートより。これと同様のことは日本の、東日本大震災の被災地でも生じており、調査については「調査公害」と言われることがある。
- [22] 調査結果を英語のレポートにまとめたとしても、調査対象とされた人々はそもそも英語を母語とせず、英語が読めない人も多い。
- [23] ネパール訪問についての2016年2月24日のフィールドノートより。
- [24] 動画はIbashoのウェブサイトで公開されている。
- [25] 新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、既存の価値観が揺らいでいる。このような状況において求められるのも、既成概念を越えるものを表現することだと考えている。