草の根の国際交流について

フィリピン・オルモック市のバランガイ・バゴング・ブハイ(※バランガイはフィリピンにおける最小の地方自治単位)におけるIbashoプロジェクトの中心メンバーだったLさんという女性がお亡くなりになられたとお聞きしました。
バランガイの議員として忙しくされている合間を縫って、プロジェクトのワークショップやミーティングに参加し続けてくださった方です。

Ibashoプロジェクトのきっかけは、2013年11月の台風ヨランダ(台風30号)。Lさんの旦那さんは寝たきりの状態であり、台風ヨランダの被災後、8日後に心臓発作で亡くなられました。
Lさんはビデオのインタビューで、次のように話されています。

「台風の後、高齢者の何人かは生きる気力を失いました。家も食べ物もなく、死にたいと。ヨランダと共にいなくなりたいと思う人もいました。反対に、生き残るために頑張る人たちもいました。ヨランダに負けたと思いたくなかったのです。私もその一人です。生き残るためには働かなくてはならないということを、私は常に思い知らされています。」

そして、日本(大船渡の「居場所ハウス」)でも高齢者が頑張っているのを知り、励まされたと。


最初の訪問から1年半ほど経過した4回目の訪問の時、Lさんは「子どもの頃、日本人は悪い人だ聞いていた」と話してくださいました。

オルモック市があるのはレイテ島で、第二次世界大戦の激戦地。今年2020年は終戦から75年ですが、子どもの頃戦争を経験した方、あるいは、親や兄姉が戦争を経験した方はご存命で、そういうことに想いが至らず現地を訪問していたことに恥じ入りました。もちろん自分自身が戦争に関わったわけではありませんが、日本人である以上背負わなければならない歴史です。

それと同時に、顔の見える関係を築けば、日本人のイメージを変えることができるのだとも思いました。顔の見える関係を築くというのは楽観的過ぎるかもしれませんが、顔の見える関係を築くことの可能性をLさんから教わ理ました。
国際交流というと大きな話のように聞こえますが、それは一人ひとりが顔の見える関係を築くことの積み重ねなのだと。

安らかな眠りにつかれますよう、お祈りいたします。