2026年6月6日、日本生活学会の公開シンポジウム「観察・対話・記録:経験された生活へのアプローチ」が開催されました。シンポジウムでは、「まちの居場所に「いる」研究者:記録することと研究すること」という話題提をさせていただきました。岩手県大船渡市の「居場所ハウス」に対して、自身が研究者としてどのように関わってきたかを振り返った内容となります。
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まちの居場所に「いる」研究者:記録することと研究すること
1.はじめに
研究者は研究対象のフィールドにおいて、何らかの手法を用いて調査を行う。ただし、フィールドに「いる」ことができなければ継続できない研究もある。それでは、研究者はなぜ、そして、どのようにしてフィールドに「いる」ことができているのか。このことは、論文で必ずしも言及されるわけではないが、フィールドにおける調査を考えるうえで無視することができない。
筆者の研究対象は、コミュニティカフェ、地域の茶の間、宅老所、こども食堂など従来の制度や施設(Institution)の枠組みにあてはまらないまちの居場所(日本建築学会, 2019)である。特に、東日本大震災後には、岩手県大船渡市に生活拠点を移し、居場所ハウスの運営に関わりながらの参与観察を行ってきた*1)。本稿では、筆者の居場所ハウスとの関わりを紹介したい。
2.「いる」ことと「する」こと
東畑開人(2019)は、臨床心理士として居場所型デイケアに就職した当初のことを、「何もしないで『ただ、いる、だけ』だと穀潰し系シロアリになってしまった気がしてしまう」ため、「何か月ものあいだ、僕は何かをしているフリをすることにした」と振り返り、この経験から、「何か『する』ことがあると、『いる』が可能になる」と述べている。このことは、研究者、特にフィールドに関わり始めた当初の研究者にもあてはまる。研究者も、何か「する」ことがなければフィールドに「いる」ことが難しい。
ここで考えたいのは、調査は「いる」ことを支える「する」ことになるのかである。筆者は、次のような理由から、自らの調査はそのような「する」ことになりにくいと感じていた。
東畑開人が、「何もしないで『ただ、いる、だけ』」であるのが困難だと感じていたのは、他者の視線を内面化していたからだと考えることができる。そのような状況に対処するためには、「する」ことが、他者から目に見えてわかりやすいものである(と自らが思える)ことが重要である。この点で、筆者の参与観察は、他者から調査をしていることが見えにくかった。これが、最初の理由である。
居場所ハウスは木曜を除く週6日、10時から16時まで運営されている。筆者は、大船渡市を留守にしている時などを除き、運営時間中は概ね居場所ハウスに滞在してきた。そして、居場所ハウスを訪れた日は必ずフィールドノーツを書いていたが、居場所ハウスに滞在している間は観察したことを断片的にメモしていただけであり、フィールドノーツの執筆は帰宅してからの作業であった。つまり、参与観察は何かを「する」ことに付随して行われるもので、それでは何を「する」のかが問題になる。
筆者が、大学などの研究機関に所属していないという理由もある。もしも、大学などに所属していれば調査をしているのだろうと推測してもらえたかもしれない。筆者は居場所ハウスとの関わりの当初から調査を意識し、それゆえ、フィールドノーツを書き続けてきたが、その立場は明確なものでなかった。
被災地での調査公害が問題にされることがあるように、調査はフィールドの人々に負担をかけてしまう*2)。そうであっても、フィールドに何か還元できればよいかもしれない。しかし、筆者には、調査がフィールドに何を還元できるかわからなかったことも理由である。このことは、研究対象がまちの居場所であることに関わる。まちの居場所は、専門家が築きあげてきた制度や施設では実現できないものがあることに直面した人々が、自らの手でそれを実現しようとする場所である。そのようなまちの居場所はどのように成立しているのか、従来の施設と何が違うかなどを考察しようとする研究者は、もはや「プランをコントロールする」専門家でない*3)。それでは、これに代わる研究者とはどのような存在なのかが、筆者には明確にイメージできていなかった。
3.居場所ハウスにおいて
筆者は、まちの居場所とのそれまでの関わりを通して、研究者は記録係という役割を担うことで、運営に寄与できるのではないかと考えていた(田中康裕, 2011)。それゆえ、居場所ハウスにおいても、記録係としての役割を担うことを意識してきた。
居場所ハウスのオープンから約2週間後に開かれた運営会議で、筆者にはメールの対応や、ウェブサイトの管理をする役割が割り当てられた。筆者が、当時運営に関わっていた社会福祉法人の職員を除いて最年少だったことも、この役割が割り当てられた理由である。この役割には、日々出来事を写真に撮影したり、SNSに投稿したりするという記録係としての役割が含まれる。このほか、NPO法人の毎年の事業報告のために、日誌やゲストブックから来訪者数を集計したり、プログラムのリストを作成したりするという役割も担うようになった。さらに、年月を経てからではあるが、歩みを記録した冊子の編集を行った*4)。
ただし、筆者は記録係として振る舞っていただけでない。会計を除く事務作業、チラシの作成、プログラムのための会場設営をはじめ、運営当番が忙しい時などは来訪者に対応したり、コーヒーをいれたりすることもあった。もちろん、運営時間中、常に何かの作業をしていたわけでなく、運営当番や来訪者と一緒にお茶を飲んで、話をして過ごす時間帯も多かった。
このように、筆者は運営に関わる者の1人として、自分にできることを「する」ことを意識してきた。けれども、そもそも大船渡市に生活拠点を移し、居場所ハウスの近くにある山岸仮設の空き住戸に入居できたという、より広い意味でフィールドに「いる」ことができたのは、当時、被災地を訪れていた多くの人々と同じように、支援者だと見てもらえたからである。筆者の居場所ハウスとの関わりは、より広い枠組みにおいて、支援を「する」ことだと見てもらえたことで成立したのである。
4.記録することと研究すること
居場所ハウスの日々の様子をSNSに投稿する際には、フィールドノーツに書いたことを利用することがある。研究者と記録係には、記録したものをどう用いるかは違うものの、重なる部分も多い*5)。それゆえ、筆者は以前から、研究者は記録係として運営に寄与できるのではないかと考えていたが、次第に、研究者と記録係には別の接点もあると考えるようになった。
1つは、記録とは、まちの居場所の歩みを「写し」として保存するという意味をもつだけにとどまらないことである。これは、筆者が、まちの居場所と従来の施設との違いを捉えることができるようになってきたことに関わってくる*6)。施設では、専門家が人々の要求を抽出して、担うべき機能をあらかじめ設定する。このプロセスにおいて、研究者には大きな役割があった。しかし、まちの居場所はそうではない。筆者が、調査は「いる」ことを支える「する」ことにならないと感じていた理由もここにある。
まちの居場所では、人々の要求にその都度対応することで、機能が生まれてくる。それでは、要求にどのように対応されるのか。それが、理念の具体例になるように、ということになる(田中康裕, 2021, 2025b)*7)。そうすると、日々の出来事をある要求への対応として捉え、それがどのような意味で理念の具体例になっているかを言語化し、共有していくことは、理念をより豊かなものに育てていくうえで決定的に重要になる。日々の出来事の記録は、このプロセスにおいて重要な役割を担い得る。さらに、制度や施設でないものがどのように成立し、持続していくのか、「プランをコントロールする」のでない研究者はどのような存在なのかなど、重要な研究のテーマを考察するための資料にもなる。
もう1つは、記録には研究者自らのフィールドにおける振る舞いや思いなども記録されていることである。その蓄積は、実際に研究者がフィールドに「いる」ことができたことの記録になる。研究者が「いる」ことができたこと自体に、そのフィールドの何らかの特質が現れているとすれば、自らについての記録を資料とすることで、研究対象とするフィールドの一面を捉えるという研究も成立し得ると考えている(田中康裕, 2025a)。
フィールドにおいて記録係であることは、調査手法そのものとは言えない。また、調査手法とすべきでないかもしれない。けれども、記録係としてフィールドに「いる」ことの結果として、展開していける研究もある。
■注
- 1)新型コロナウイルス感染症の発生後、大船渡市から生活拠点を移したが、居場所ハウスとの関わりは今でも継続している。
- 2)筆者は居場所ハウスの運営に関わる者として、インタビューなどの調査の対象にもなることがあった。これは、研究者として貴重な経験だったと考えている。
- 3)ヤーコ・セイックラとトム・アーンキル(2019)は、オープンダイアローグに関わる専門家について、次のように述べている。「医師に限らず専門家というものは、プランとプロセスに責任を負い、確実なコントロールを追求すべく訓練されてきたわけですから。しかし対話実践にかかわる者は、もはやプランをコントロールする必要はありません。そのかわり、一瞬一瞬に進行していく相互プロセスのなかに参入することを目指します。なんらかの方法論や介入のパワーによってプロセスをコントロールしようとするような専門家は、とうに用済みというわけです。」
- 4)『居場所ハウスのあゆみ 2012-2014』(2015年)、『居場所ハウスの歩み:東日本大震災の被災地・大船渡市末崎町の居場所づくりの10年』(2024年)など。
- 5)ウィリアム・ホワイト(2000)は、「私がいてもできるだけ影響がないような状態を研究したかった」ため、「いかなる集団の役職や指導者的地位も引き受けることを避けた」が、「一度だけ、イタリア・コミュニティ・クラブの幹事に指命されたことがあった」という。ウィリアム・ホワイトは、幹事を引き受けたことについて、「控えのノートをとる口実のもとに、開かれている会合の全内容を記録できることに気づいた」と述べている。
- 6)ここでの議論は、大原一興(2005)が、佐々木嘉彦(1975)による「『人-物』関係」の議論を受けて、宅老所と高齢者施設では「『要求-機能』関係が倒立」していると指摘していることを参照している。
- 7)この点については、居場所ハウスへの関わりに加えて、新潟市の実家の茶の間・紫竹からも大きな気づきを与えられた。
■参考文献
- 大原一興(2005)「施設と地域の再構築」・『建築雑誌』Vol.120 No.1533 pp.20-21
- 佐々木嘉彦(1975)「生活科学について」・日本生活学会編『生活学』第一冊, ドメス出版
- セイックラ、ヤーコ, アーンキル、トム(斎藤環監訳)(2019)『開かれた対話と未来:今この瞬間に他者を思いやる』医学書院
- 田中康裕(2011)「コミュニティ・カフェにおける計画と研究者」・日本建築学会編『「利用の時代」の建築とマネジメントを考える』pp.45-49
- 田中康裕(2021)『わたしの居場所、このまちの。:制度の外側と内側から見る第三の場所』水曜社
- 田中康裕(2025a)「「いる」ことと「する」ことからみる環境移行:岩手県大船渡市「居場所ハウス」におけるフィールドワークの経験を対象として」・『日本建築学会計画系論文集』Vol.90, No.831, pp.932-943
- 田中康裕(2025b)「「まちの居場所」における理念についての一考察:岩手県大船渡市の「居場所ハウス」を事例として」・『日本建築学会計画系論文集』Vol.90, No.837, pp.2375-2386
- 東畑開人(2019)『居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書』医学書院
- 日本建築学会編(2019)『まちの居場所:ささえる/まもる/そだてる/つなぐ』鹿島出版会
- ホワイト、ウィリアム(奥田道大 有里典三訳)(2000)『ストリート・コーナーソサエティ』有斐閣
