理念の振り返りと今後に向けた意見交換@Ibashoフィリピン

2019年7月、Ibashoフィリピンが活動するオルモック市のバゴング・ブハイ(Barangay Bagong Buhay)を訪問しました。UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)のフェローのダンサー・コレオグラファー(振付師)のRさん、写真家のAさんの2人も同行した今回の訪問は、1日目に拠点となる建物と農園を案内してもらい、2日目には3人のメンバーへのインタビューを行いました。そして、3〜4日目には次のようなワークショップ・ミーティングを行いました。

2019年7月22日(月):午前

10:00頃、Ibashoの拠点となる建物に到着。野菜入りのお粥を用意してくださっている方がおり、みなで食事をしました。

11:00頃からワークショップをスタート。参加者はIbashoフィリピンに中心的に関わっている女性8人、男性4人です。
昨年11月のIbasho Ambassadorのトレーニングで翻訳したIbashoの8理念のセブアノ語訳を使って理念を振り返りながら、ダンサー・コレオグラファーのRさんが、Ibashoの8理念を身体の動きで表現したダンスを紹介。

休憩を挟み、11:30頃からアートプロジェクト。Rさんが用意したもので、ネパールで行ったのと同様のアート作りです。白い紙に様々な色のインクを落としていき、ストローで吹いたりしてインクの色を重ねていくもの。Rさんは、Ibashoの8理念のそれぞれに相応しい色を参加者に質問。参加者は8色のインクを順番に紙に落とし、ストローで吹いたりしてアートを作りあげていきます。

アートを作っている時、小学校の子ども5〜6人が集まってきて、何をしているのだろうと様子を覗き込んでいました。学校の休み時間ということで、子どもたちにもアート作りに参加してもらいました。

12:30頃、それぞれのアートが完成し記念撮影。

2019年7月22日(月):午後

14:00から午後のワークショップを再開。最初にRさんから、先ほどのアートプロジェクトについて、高齢者でも新しいことをするチャンスがあること、作ったアートは散らかっているように見えるかもしれないが、それが生活だという話がありました。

14:25頃、スライドショーでこれまでの活動をみなで振り返りました。

スライドショーの後、これから自分が取り組みたい活動についての意見交換。それぞれが取り組みたい活動を付箋に書き、模造紙に貼っていってもらいます。模造紙に貼られた付箋は、大きく次のように分けることができます。

  • 大工仕事
  • 拠点の家具作り
  • ペットボトルのリサイクル
  • 農園
  • 料理
  • 拠点での図書館
  • フィットネス
  • クリニック
  • クラフト作り

大工仕事、家具作りという拠点を作りあげるための活動、ペットボトルのリサイクル、農園というこれまで取り組んできた活動、料理(カフェ)、ライブラリー、フィットネス、クリニックという拠点を活用した新たな活動、そして、クラフト作りという資金獲得のための活動があげられています。

強い雨が降ってきたため一旦休憩とし、拠点の中に移動することに。

15:15頃から意見交換を再開。先ほど模造紙に貼ったそれぞれの活動を、いつから始めるかについて意見交換しました。

16:30頃、意見交換が終了。最後に表のコート(Covered Court)に出て、Ibashoの8理念を身体の動きで表現したダンスを踊りました。

2019年7月23日(火):午前

Ibashoフィリピンのメンバーからは、拠点を利用して伝統的な食事を提供するカフェを運営したいという話が以前から出されていました。そこで、この日は朝からカフェで提供する伝統的な料理作りが行われました。拠点となる建物の脇では、農園から収穫した芋、キャッサバの調理が行われました。

調理が一段落し、11:00頃から写真家のAさんが大船渡、ネパール、フィリピン滞在中に撮影したIbashoプロジェクトの活動の写真を紹介。写真を見終えた後、メンバーの男性4人へのインタビューを行いました。

12:00頃、表のコート(Covered Court)に出て、Ibashoの8理念を身体の動きで表現したダンスを踊りました。2度目はコートで遊んでいた子どもたちにも声をかけ、一緒に踊りました。

13:00頃からみなで食事。調理してくださったのは豚肉を煮込んだもの、ご飯、農園から収穫した芋とキャッサバを茹でたものです。

2019年7月23日(火):午後

14:00過ぎからミーティングをスタート。参加者は女性8人、男性4人です。議題は法人の手続きに関すること、拠点を作りあげること、当面取り組む活動のことの3つです。

Ibashoフィリピンは「Ibasho Philippines Elders Inc.」という法人格を取得しています。法人の代表はコーディネーターのIさんがつとめてきましたが、Iさんの代わりに代表を選ぶ必要が出てきました。メンバーの議論により、今週の金曜日に代表を選ぶ選挙を行うことになりました。
次に法人の会計を担当するメンバーから資金の残額が報告。ワシントンDCのIbasho代表のKさんからは、資金はメンバーで相談して、建物を完成させたり、新たな活動を始めたりするために使って欲しいという話がありました。

拠点を作りあげることについては、メンバーからは天井板を張る、電気の配線、照明、塗装、家具作り、調理用のレンジの設置などをするという意見が出されました。いずれも、Ibashoプロジェクトの活動の一環として、運営メンバーが自分たちで作業することになっています。

当面取り組む活動について、Ibasho代表のKさんは、先日の意見をふまえて、カフェ(モバイル・カフェ)とライブラリーにまず取り組んではどうかと提案。カフェのためには食事を販売するためのライセンスを取得する必要があり、ライブラリーのためにはどうやって本を集めるかを考える必要がある。少しずつこれに取り組んではどうかとKさん。
ライブラリーについて、参加者からは自分の家の本や辞書を寄付したい、本がなくても地域のことなどを子どもたちに話すことができる、地区(Barangay)全体に広く本の寄付を呼びかけるなどの意見が出されました。

最後の挨拶を終え、15:15頃、みなで記念撮影をしました。


今回、Ibashoフィリピンの方々とお会いして、次の3つのことを感じました。

1つ目は拠点となる建物を作りあげること自体が、Ibashoフィリピンのプロジェクトの重要な一部であること。
拠点の建設はフィリピン軍・第802歩兵旅団が地域貢献として建設作業を担当しましたが、建設作業が行われている期間、作業に従事する兵士はバゴング・ブハイの住民の家に寝泊まりし、飲食を提供するというのが条件とされていました。Ibashoフィリピンのメンバーは食事を届けたり、軽食・ジュースなどを差し入れしたりして建設作業をサポートしてきました。男性メンバーの中には建設作業にほぼ毎日顔を出し、作業の監督をしたり、手伝ったりしている人もいたということです。
フィリピン軍・第802歩兵旅団の協力で躯体(床、壁、柱、梁、天井など)が完成した後、Ibashoフィリピンのメンバーは自分たちで徐々に拠点を作ってきました。そして今回、意見交換された通り、今後も自分たちで拠点を仕上げていくことになっています。
誰かに用意してもらった場所で活動するのではなく、自分たちで活動する場所自体を作りあげることは、人々が役割を担える機会を生み出し、また、「ここは自分たちの場所だ」と言うオーナーシップの意識の醸成にもつながると思います。

2つ目は、Ibashoの8理念への共感が、メンバーがIbashoフィリピンに関わるモチベーションになっていること。
フィリピンではワークショップやミーティングなどの参加者数を増やすため、参加者にスナック(軽食)を出すことが多いと伺いました。実際、Ibashoフィリピンのプロジェクトでも初期のワークショップ、調査時にはスナックを出したこともあります。しかし、最近ではスナックは出していません。それでも参加されるメンバーがいる。まさに、自発的という本来の意味でのボランティアとしての参加です。
今回の訪問では何人かの方にインタビューを行いましたが、Ibashoに関わったきっかけとして「高齢者でも何かできることを教えられたから」、「高齢者にも役割があると学んだから」という声を聞きました。これらの言葉からは、Ibashoの8理念への共感がIbashoフィリピンに関わり続けている大きなモチベーションになっていることが伺えます。

3つ目は、支援する/される関係を越えた顔の見える関係が築かれたこと。
2013年の台風ヨランダ(2013年台風30号)の後、被災地には国内外から多くの団体が支援に入ってきたとのこと。時間の経過とともに活動を終え引きあげる団体が出てきている中、Ibashoは現地を定期的に訪問し続けてきました。
今回の訪問時の議論で、IbashoフィリピンのメンバーからワシントンDCのIbashoに対して「活動資金を出して欲しい」と言う人は誰もいませんでした。また、今回の訪問ではタクロバン(Tacloban)経由でオルモック(Ormoc)に向かいましたが、2人のメンバーが片道2時間半かけてはるばるタクロバンまで迎えにきてくださいました。これらの出来事に、支援する/される関係を越えた顔の見える関係が築かれていることが現れているように思います。
そして、顔の見える関係が築かれているからこそ、Ibashoの8理念への強い共感を生んでいる可能性があります。どこの誰かわからない人が提唱した抽象的な理念ではなく、顔の見える相手が自らの経験を通して見出した理念として、身体性を伴ったものとして伝わったからこそ、強い共感を生んだのではないかと考えています。