先日(2017年10月3日(火))、「デジタル公民館まっさき」の活動に参加されていたKさん、Mさん、Tさんと、陸前高田市の長洞元気村のMさんをお迎えし、「居場所ハウス」のこれからを考える意見交換会を開催しました。
元々は、「居場所ハウス」のこれからを考えるアドバイスをいただけないかと講演会を依頼していたのですが、講演会よりゆっくり議論した方がよいのではないかとの提案をいただき、「共に考え・共に学ぶ会」という形式で開催することとなりました。
「居場所ハウス」側からは食堂での調理、会計・事務、朝市や行事のサポート、建物の管理、農園での農作業など、日々の運営に関わるメンバー12人が参加しました。
「居場所ハウス」は2013年6月13日のオープンからもうすぐ4年半となります。この間、主に民間の団体からの補助金を受けつつ、食堂、朝市などにより自主財源を確保することで、補助金に過度に依存しない運営体制の確立を試みてきましたし、その試みは現在も続けています。
先日の「共に考え・共に学ぶ会」では、
- 「デジタル公民館まっさき」のパソコン教室などの活動を通して継続的・定期的に「居場所ハウス」のことを見てくださっている方から、外部から「居場所ハウス」はどう見えているかを伝えていただくこと
- 民設民営の公民館である「霞ヶ関ナレッジスクエア」と、陸前高田市の長洞元気村の活動を紹介いただくこと
をきっかけとして、「居場所ハウス」が持続可能な運営を実現するためにできることについて意見交換を行いました。
コンテンツ
「共に考え・共に学ぶ会」で出された主な意見
持続可能な運営を実現するための考え方
- 持続可能な運営を実現するためには、まず自主財源を確保することが必要。
- お金の出入りを、運営に関わるメンバーの全員が共有しておく必要がある。
- 運営の中心的な担い手としてボランティアを想定するのは、持続可能性を考えると難しい。
- 「居場所ハウス」は単にボ〜ッとコーヒーを飲むだけの場所でなくてもいい。お金を稼ぐ、ビジネスをするという視点も必要であり、地域でビジネスが成立することもコミュニティ事業につながる。
運営に関わるメンバーの意識
- 「居場所ハウス」がなくなると自分は困るという当事者意識、切実感を持っている人を増やす必要がある。一般的な話だが、きちんとした組織になればなるほど当事者意識、切実感を持つのが難しくなる。
- 地域の人が協力しながら、様々な事業をやってるのはすごいと思うと同時に、「そんなに頑張って疲れてしまわないか?」と心配しながら見ていた。
公民館(ふるさとセンター)との関係
- 本来、公民館で行うべき活動まで、代わりにやろうとしているので赤字になるのではないか。公民館でやるべきことは公民館に任せるべきではないか。これをやったら赤字だろうと思われることを、「居場所ハウス」でやる必要はないのではないか。
- 公民館と「居場所ハウス」という2つの場所があることで、地域住民の利便性が増大しているか。もし、公民館と「居場所ハウス」とが競合することでその効果を打ち消し合っているならば、地域として公民館を十分に活用できていないことになる。
- 「居場所ハウス」で行なっているひな祭りなどの行事は競合しているが、他の部分については競合していないと思う。
末崎町内の人々との関係
- 末崎町内の幅広い世代を対象とすることを考えてみる。
- 「居場所っこクラブ」で、子どもたちに夏休みの宿題を持ってきてもらい、地域の人が教えたというのはよいことだし、それが冬休み、春休みと少しずつ広がっていけばよい。
- 霞ヶ関ナレッジスクエアがテーマに掲げているのは「共に考え、共に学び、共に担う社会へ」。運営側の人はしんどい思いをしてサービスを提供しているのに、受ける人は「楽しかった」で終わっていないか。サービスを受けるだけじゃなくて、共に担い手になってもらう工夫が必要。それが、運営を担う次世代の人を作ることになっていく。
末崎町外の人々との関係
- 長洞元気村では支援会員という仕組みを作っている。2万円の年会費を出して支援してくださった方には、年に4回、地元の特産品を送っている。「居場所ハウス」でも同じようなことができないか。言わば、「居場所ハウス」のふるさと納税のようなものができないか。
- 震災後、末崎町に支援に来てくれた人や、末崎町出身だが現在は離れた土地で暮らしている人が、支援会員になってくれるのではないか。
- 「居場所ハウス」は地方紙(東海新報)やマスコミに取り上げられているので、知っている人も多い。地方紙、マスコミを利用して町外から人を呼ぶことを考えてもよい。
- 町外から「居場所ハウス」に来てくれた人に対して、「居場所ハウス」らしい、末崎町らしいこととして何を提供できるかを考えるとよい。
地域の魅力を生かす
- 自主財源を確保するために、末崎町の魅力、文化をいかに活かせるかを考えてみる。
- 長洞元気村では、都会から来た人に、有料でワカメの芯抜き体験をしてもらっている。地元の人に取ればお金をもらってやる仕事でも、都会の人に取ればお金を払ってでもやりたい体験となる。このような逆転の発想をしてはどうか。
- 都会から来た人が食べたいのは、(都会でも食べれる料理ではなく)サンマのすり身汁など、地元の人が日頃当たり前のように食べている料理。
- 「居場所ハウス」の食堂でも、土曜の「お楽しみランチ」としてひっつみ汁、おぢづき等を出しているのなら、食堂のメニューにもこれまでに出した「お楽しみランチ」の一覧を載せておけば、「今日のメニューは何かな?」という楽しみにもなる。
情報発信・情報共有
- 毎月発行されている「公民館報(館報まっさき)」の隅に、「居場所ハウス」の情報を載せてもらうことはできないのか。
- 「居場所ハウス」の運営に関わっているメンバーが、メーリングリスト(一斉メール)でつながることは大切。
予定していた時間を1時間もオーバーし、ほぼ休憩なしで3時間も続いた「共に考え・共に学ぶ会」では、このように様々な意見が出されました。
「共に考え・共に学ぶ会」に参加して、また、これまでいくつかの「まちの居場所」を訪問して、「居場所ハウス」(もしかしたら、他の「まちの居場所」も?)が持続可能な運営を実現するためには、次の3つの方向性があるのではないかと感じました。
「まちの居場所」の持続可能な運営のための方向性
①なるべくお金をかけず無理のない範囲で、ふらっと立ち寄ったり気軽に集まったりできる場所を目指す
これがカフェ(コミュニティ・カフェ)という言葉のイメージに一番近いかもしれません。予定がなくてもふらっと立ち寄れるカフェの運営を中心として、来訪者全員を対象とするプログラムは行わないが、歌声喫茶、生け花教室、健康体操などグループでの活動を時々行う。
千里ニュータウンの空き店舗を活用して、ボランティアによって16年間の運営を継続して来た「ひがしまち街角広場」がこのスタイルだと言えます。「ひがしまち街角広場」は食事もプログラムは提供されておらず、コーヒー、紅茶などの飲み物が「お気持ち料」によって提供されていることだけですが、地域の人々の世代を超えた関わりが生まれたり、「千里竹の会」、「千里・住まいの学校」、「千里グッズの会」など様々な地域活動を生み出したりして来ました。ふらっと立ち寄れる場所にも大きな意味があることは、「ひがしまち街角広場」が生み出してきたものの大きさを見れば明らかです。
②高齢社会における助け合いの拠点となる場所を目指す
2015年に施行された「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)では「まちの居場所」をモデルにした「通いの場」がサービスの1つとして盛り込まれたように、高齢社会を迎える現在、「まちの居場所」に期待されている役割だと言えます。『地域づくりによる介護予防を推進するための手引き』(三菱総合研究所, 2015年3月)では「何故、介護予防のためには住民が主体となって運営する「通いの場」が必要なのか」という理由として「より多くの高齢者が介護予防に取組むため」、「持続的な介護予防の取組みとなるため」、「介護予防の取組を支える人のモチベーションを維持するため」の3つがあげられており、「住民運営の通いの場のコンセプト」として「①市町村の全域で、高齢者が容易に通える範囲に通いの場を住民主体で展開」、「②前期高齢者のみならず、後期高齢者や閉じこもり等何らかの支援を要する者の参加を促す」、「③住民自身の積極的な参加と運営による自律的な拡大を目指す」、「④後期高齢者・要支援者でも行えるレベルの体操などを実施」、「⑤体操などは週1回以上の実施を原則とする」の5つがあげられています。
新潟市の地域包括ケア推進モデルハウスの第一号として、空き家を活用して開かれた「実家の茶の間・紫竹」は、地域の人々が「矩を越えない距離感」を大切にする関係を築くことで、助け合いの拠点とし、結果として、生活支援・介護予防を目指そうとする試みです。なお、「実家の茶の間・紫竹」は「通いの場」ではありませんが、「実家の茶の間・紫竹」のような先進事例を参考にして「通いの場」という制度が生み出されたと言ってもよいと考えています。
高齢社会における助け合いの拠点は制度化されつつありますが、「まちの居場所」がこれに取り組む場合、十分な資金を獲得できる事業ではないと思われます(十分な資金が獲得できないからこそ、制度化により継続が保障されるということだと思います)。そのため、行政との関わりや、補助金を受けることが必要になります。
③地域の魅力を生かしたビジネスを展開できる拠点となる場所を目指す
先日の「共に考え・共に学ぶ会」で主に話になったように、運営を継続するためには自主財源は不可欠であり、自主財源を獲得するために地域の魅力を生かすという考え方。その際、地域外の人に地域の魅力を伝える、触れてもらうことで地域を越えた人とお金の流れを生み出すと共に、地域外の人との関わりを通じて、地域の人が自分たちの地域の魅力を再発見していく。これは、いわゆる「まちの居場所」という枠組みを越えるものかもしれませんが、運営の継続性を考える上では重要になってくると思います。
これらの3つは0か1かの話ではなく、あるバランスをとって組み合わせることになるように思いますが、とは言え、どれかには重きをおくことになりそうです。「居場所ハウス」がどの方向性を目指せばよいのかは悩むところですが。
以上のようなことを書いていて、これらは、目指すべきコミュニティというものをどのような側面から捉えているかに関わることかもしれないと思いました。コミュニティというのは頻繁に耳にする言葉でありながら、何となく捉えどころのない言葉ですが、
目指すべきコミュニティの捉え方
①なるべくお金をかけず無理のない範囲で、ふらっと立ち寄ったり気軽に集まったりできる場所を目指す
:コミュニティを、友人や一緒に活動する人のような親密な人、顔を合わせればちょっとした話をする知人、挨拶程度の付き合いの人というように、多様な多様な濃度の人々の関係の重なり合いと捉える。
②高齢社会における助け合いの拠点となる場所を目指す
:コミュニティを、助け合いが行われる人々の関わりと捉える。
③地域の魅力を生かしたビジネスを展開できる拠点となる場所を目指す
:コミュニティを、生計を立てるための基盤と捉える。
もちろん、これらはどの捉え方が優れているか否かという話ではなく、コミュニティの側面。先日の「共に考え・共に学ぶ会」ではコミュニティをどう捉えるかによって、「居場所ハウス」の持続可能な運営を実現するための方法は違ってくるのかもしれない、と感じました。
上に書いた通り、「居場所ハウス」が①〜③のどの方向を目指せばよいのかは悩むところです。あるいは、もしかしたらこれ以外の方向性があるかもしれません。
しかし、少子高齢化、人口減少が続き、近い将来、統廃合によって小中学校もなくなってしまう末崎町においては、いかに人口の減少をくい止めるか(人口増は無理だとしても、人口の減少スピードを遅くする)は切実な課題であることは確か。そうでなければワカメの養殖も、地域のお祭りも少しずつ維持できなくなってしまう。もちろん、人がいなければ助け合いを行うことも難しくなる。地域包括ケアシステムでは必要なサービスが提供される日常生活圏域(中学校区)が重視されていますが、その日常生活圏が成立していることが前提とされているような気もします。
そして、末崎町を抜きにして「居場所ハウス」の存在はあり得ない。そうすると、先日の「共に考え・共に学ぶ会」で議論したように、③地域の魅力を生かしたビジネスを展開する場所を目指すことが、求められるのかもしれないと思いました。
「居場所ハウス」が末崎町にどのように貢献できるのか? もちろん、これは「居場所ハウス」だけでは実現することが難しく、末崎町内で広く連携していくような仕組みが必要かもしれない。具体的どうするのかは、先日の「共に考え・共に学ぶ会」が多くのヒントを与えてくれると考えています。